現在の詐欺的な物質主義-消費主義:増大する実存的空虚の原因


愛着からの脱却と過渡性:エッセンス-魂を回復させるための精神的な生活の土台なのか?

慢性的な不満は、魂にとっての毒


私達は、即時に物質の必要性を満たすよう求めている消費社会で生きている。 私達は新しい物を望みながら、一日を過ごしている。 私達がそれらを持つや否や、もう他の何かが欲しくなる。 慢性的な不満は有害だ。 比較や妬みも、しばしば不満に結びつく二つの特徴だ。 比較すればする程、あなたはより飽き足らなくなる。 妬みのパラドックスは、あなたの熱望が成就するよう促す代わりに、己の心理的な幸福から自ら遠ざかることだ。
全てを掌握することへの欲求は、あなたがリラックスするのを妨げ、本当に重要なこと、つまりささやかなことを楽しむのを忘れさせる。

世俗的な生活の愛着を断つ


ヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教において、愛着を断つこと(ヴァイラーギャ)は大変な重要性を持つ。 愛着を断つこととは、世俗的な事柄や己の肉体やマインド、あるいは自らの成果や長所、名声、定評、立場などと、肉体もしくはマインドとの一切の繋がりがないことを意味する。
私達が愛着を持つ時、バランスを失い、肉体的にも精神的にも有害となり得る物事を求めるか、あるいは私が成功を収め、進歩するのを阻む。 私達が作り上げる習慣は、一種の強い愛着に他ならない。 世俗的な生活にこの上ない関心を抱く多くの人は、愛着に縛られていることすら知らない。 なぜなら実際、世俗的な事柄に対する嗜好、あるいは不満は、彼らにとって実に自然に思えるからだ。
愛着を断つことによって、私達は人生における快適および不快な要素に対する平等性を培い、不必要なストレスを回避し得る。 また心配や不安もなく、私達に明晰に考えるよう促し、より良い決断をするよう仕向ける。
私達は自らに起こることを完全に制御できない。 だが反応の仕方を制御することは、確かに可能だ。 やるべきことやいかに行い得るかにおいて、私達自身の最善を尽くし、神の手にその結果を委ねて、己の務めに専念しよう

あなたは自らの無垢な魂に対する責任を担っているか?


おそらく、あなたの無垢な魂に背くよう要求する何かを行うよう、あなたは日々求められている。 あなたのエゴは、あなたが身売りすべき口実を提示するだろう。 あなたは安全や保護、確信、承諾、一定の給料が必要だという論拠を示すだろう。 あなたの魂が知ることを危険に陥れなければ、自らのステータス、ないしは財産や承認を失うと脅して、あなたのより大きな恐れの声で告げるだろう。
あなたが己の魂の真実に背く度に、あなたは自らの真のアイデンティティから離れ、あなたがそれを為す毎に、あなたの健康や活力が持っていかれて、あなたの小さな一部が弱くなる。
あなたは自らにとって真実であることを守るべく、己のコンフォートゾーンから出る覚悟はできているか? あなたの無垢な魂を尊重することは難しい。 それには勇気が必要だ。 困難な物事を行うよう、あなたは求められるだろう。 友人をなくすかもしれない。さらには仕事も失いかねない。 だが、あなたが得るものは、かけがいのないものだ

実際には私達は何者なのか?


「人々が常に欲に駆られているなら、その人生は実に困難になります。 そして絶えず何か新しいことを得ていると、私達はそれを喜ぶどころか、日増しに不満を募らせると私は思います。 それは麻薬のようなものです。 お金やセックス、買い物は麻薬です。 それらは充足感を得ようとする底なしの井戸です。」

「この手の文化や社会、特に米国では、成功することや目立つことを極めて重視しています。 より多く行い、より多く買う、より偉くなること、より沢山持ち、より大きな家や車を所有し、1万のトイレットペーパーを買って車庫を満たすといった、消費主義の考え方です。 人々は車庫や物置、そしてそれらにすら入り切らない沢山の物を所有します! 彼らは自分の家に保管し切れない物を置くための場所にお金を払わなければなりません。 そのようにして、人々は生活しています。
外界でより所有することは、必ずしも内面的に満足している状態とは合致しません。 それら二つのものは完全に違います。 外のもの、つまり、環境や家、車は決して充足感を与えません。 (充足感は)短期間のものです。 私達はそれらを買い、所持し、それらで楽しみ、ある種の短期の瞬間的な満足感を得ます。 ですが、それは新しい玩具を得た子供のようなものです。 時間が過ぎれば、新鮮味が失せ、次の玩具に興味を向けます。」

「瞑想によって神経系を落ち着かせていない人や、精神的、もしくは創造的なプラクティスを行わない人は、過去や未来を絶えず駆け巡り、他者の生活に首を突っ込むマインドを有すると思います。 その時彼らは、自らの現実にも、また彼らの目の前で示される世界にもいません。
禅師ならこう言うかもしれません。 『未来を私に見せなさい。そなたの過去を私に示しなさい。』 そしてそれを行うやり方は存在しません。 それらの問いは、マインドを機能停止にさせます。 少し回転した後、時と共に静かにさせます。 全ての源に没頭します。 それが持つ特性の幾つかに名前を付け始めます。 それは朽ちることのない、偏在する知性あるものです。 それは超越性です。 私達が時間や空間の観念を失う時、物質主義を超越します。」

「其々の物質は本質的にエネルギーで、全ては振動していると認識する時、存在の本質は、私達が思うほど物質的にそんなにリアルではないと感じます。 私達は時に、あたかも他の事が起きつつあるように、はるかに繋がりのあるものが存在するかのように感じます。 そして、誰もが実に現実味を帯びた感覚で、同じ夢を共有するかのように。 その時、私は何らかの形で役割を果たすと認識します。 ですが実際、私というものは、より大きく謎めいています。 それは朽ちることなく、無限で、時間を超え、あらゆる物質と繋がっています。」

「神秘主義者や哲学者、詩人達は、おそらく貴方や私よりも的確に現実を表現します。 なぜなら彼らは現実を描写するからで、私達の目を通して見るものから目覚めるのと同じです。 彼らは好きなようにそれを呼べます。 ある者達はそれを、大文字のSを伴った「Ser(本質)」と呼び、別の者は霊や神、魂、大いなる霊、意識それ自体と呼びます。 それは全てに生命を授けるもので、私達のより深いレベルに宿るものです。」

「ある意味、私達は闇と再生の時代を生きています。 ゆえにこれらの瞬間にも私達の人生は脅かされています。 ですが、また以前は全く気にも留めなかった分野に目を向け、解決策を模索しようとする人々が、日増しに増えてきています。 外に出て、見返りを期待することなく他者のために善い事を行いましょう。 親切になりましょう。人々はそれを必要としています。 もし私達が文句を言う相手が人間であり、その信条や思想の陰には人間がいることを思い出すなら、互いに聞き合う能力が開花するでしょう。」

「私達は生命のパワーの創造物であり、宇宙が存在する限り、私達は存在するでしょう。 そして銀河や昼夜を通して永久に存在するでしょう。 常に変化し、成長し、この人生やあの人生に生まれながら、星々がそれで作られている、かのものをもって、私達は永遠に生きるでしょう。 後に到来するもの、永遠の創造の永遠の一部、神の啓示の神髄のかけらによって、この形を変化させながら。」

現在、絶え間ない非人間的な冷たさや野心、ねたみ、エゴイズムへ導かれた消費主義に依存し、所有欲に束縛されている世界に私達は生きている。 もしかして、何かを持てない、あるいは失うことへの永続的な恐れに執着して生きることで、全てが一時期的で幻想的だと気付かせなくなるのだろうか? またその結果、不満や内面的に空虚な気持ちを抱えた状態で、私達に生きさせるのか?
では、達観して取り組むことによって、私達は普遍的な量子の意識とつながり、そして己の真の運命を明かし、また真の幸せおよび内的な平和を授けるエッセンス-魂のみが唯一、本当に不滅であると理解できるだろうか?