ロマンチックな愛、真の愛…


人間関係におけるコミュニケーションの大切さ

人間関係と真の愛…


エゴはある人を選び出し、その人を特別扱いする。 それは、エゴに常についてまわる、深く根付いた感情を隠す、あるいは抑制する無意識の試みなのだ。 つまり、あまりにおなじみの不満や不幸、満たされていない感じを隠す試みなのだ。
短い間であれば、実際その幻想は機能する。 その後避けがたい形で、ある時、あなたが選んだ、あるいはあなたの目に特別なものと映ったその人は、もはやあなたが感じる苦しみや憎しみ、不満、あるいは不幸を隠すのに役立たなくなる。 突如として、愛は憎しみに変わる。 エゴにとって、愛することと欲することは同じであるが、真の愛には、『欲する』も、所有欲も、パートナーに変化を望む気持ちも存在しない

カップルのコミュニケーション


しばしば、問題は私達が聴くことを知らないために生じる。 聴くとは、注意を向けることであり、関心を示す、相手が何を感じているのかを見ることだ。 主なルールの一つ、そしておそらく最も大切なのが、常に敬意を持ち続けることである。 私達の伴侶に関しても、また自分自身に対しても。
もし私達がいら立っているなら、怒りをコントロールし、適切な形でそれを表現することを覚えるべきだ。 敬意、忍耐、共感、寛容が、良いコミュニケーションの基本だと覚えておこう。

愛の実践:心に愛情をもって意思疎通を行う


もし私達のそれぞれが、愛情や敬意をもって自分に接して欲しいと思うなら、私達も他者と同じようにするよう心掛けるべきだ。 だがしばしば、ちょうどその逆のことが起こる。 相手が愛され、大切にされていると感じるよう努めるどころか、非難と攻撃の悪循環に陥ってしまう。 私達は、傷つけるようなコメントや批判、恨みのこもった声の調子、ボディランゲージの変化、あるいは単に何も言わない形で返答し得る。
もし二人が、それぞれ愛されていると感じ、落ち着いていたいと望んでいることに気付き始めるなら、この悪循環を打破し得る。 これが、最高の関係の要点:他者が愛され、尊敬されていると感じさせるという心がけ  人間関係は、思いやりのみならず、哀れみや赦し、敬意も実践する機会を私達に授けてくれる。 それらは、現代社会に本当に必要な資質である。

『ロマンチック』な愛は、真の愛であり得るのか?

 ティク・ナット・ハン
「母なる地球に対しての愛は、真のものでなければなりません。 もし真の愛であれば、あなたと母なる地球に大きな幸せをもたらすことができます。 恋愛も、もし真のものであれば、やはり大きな幸せをあなたにもたらし得ます。 ですが、もし真の愛でなければ、それはあなたや他人を苦しめるでしょう。
真の愛には、四つの要素が必要です。
まず最初に、素晴らしい善意、つまり、幸せを与える能力です。 もしあなたが幸せを与えることができないなら、真の愛ではありません。 恋愛において、相手が幸せになるのを手伝えないなら、それは真の愛ではありません。 そこで、あなたは自分自身と相手に幸せを与えられる能力を身に付けるべきです。
真の愛の二番目の要素は、哀れみです。 哀れみは苦しみを霧散させ、変化させるのに役立つエネルギーです。 あなたの苦しみも、他者の苦しみもです。 もしあなたが自分や他人の苦しみを処理することも、変化することもできないなら、真の愛ではありません。 それゆえ、両者が真の愛の二番目の要素「カルナ」を育成しなければなりません。 ロマンチックな愛かどうかは、重要ではありません。 肝心なのは、真の愛であることです。
真の愛の三番目の要素は、喜びです。 もしあなたが絶えず泣いていたり、相手を泣かせたりしているなら、それは真の愛ではありません。
真の愛は、包含します。 誰も除外しません。 他人の苦しみは、自分の苦しみです。 他人の幸せは、自分の幸せです。 もはや個人的な苦しみ、あるいは個人的な幸せはありません。 真の愛は差別せず、統合の要素を有します。 あなたと相手の間に分離も境界もありません。 その精神を持つなら、『それはあなたの問題だ』とは言えません。 そうではなく、あなたの問題は私の問題で、私の苦しみはあなたの苦しみなのです。
もし恋愛にこれらの四つの要素があるなら、大きな幸せをもたらし得ます。 もしあなたが成功するなら、素晴らしい善意と哀れみを育成するでしょう。 そして直ちにあなたの愛は、全ての物を包含します。 あなたの愛の対象は相手だけではなく、全ての人を包含します。 幸せに限りがなくなるでしょう。 もし真の愛であるなら、日増しに成長し続け、人間だけではなく、動物も、植物も、鉱物も含めていきます。 それが偉大な愛、『マハカルナ』、『マハマイトリ』なのです。」

なぜ現在、人間関係にこれほどの挫折が見られるのか? もしかして、私達はひどい『エゴイスト』になっており、他者はどうでもいいのだろうか? 『エゴイズムは愛の死であり、愛はエゴイズムの死である』のではないのか?
では、もしかして『真の愛』を実践することで、私達の独自の利害への愛着をなくし、そうして真の、深い心の平和を経験することができるだろうか?