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エゴ(自我意識、利己主義、…)を取り除く

お金の仕組み お金も愛も幸せも 『思考』の正体 自由を手に入れる

1.エゴが取り除かれるとどうなるか

 月の表面を覆い隠す雲が風に流されると、月は明るく涼やかに輝きます。 同様に、人の心は、利己主義の雲が吹き払われると、燦然として、清らかな本来の光輝を発します。 これが、悲しみが消え去った至福の状態です。 ランプがあるところには暗闇は存在できません。 いったん英知のランプが灯れば、決して、消えたり、弱まったり、明滅したりすることはありません。
 人々が、感覚の促しによって、この世の事物に求めている至福と平安は、明滅し、間もなく弱まり、消えてしまいます。 それらは、一時的に人の愚かな願望を満たすだけです。 それは、色欲、怒り、憎しみ、妬みを通して手に入るものであり、したがって、偽りであり、変わり易いものです。 これらの衝動をコントロールして、克服しなさい。 そうして初めて、あなたは真の平安を手に入れることができます。 平安は、弱まったり、明滅したりすることはありません。 あなたは平安を手に入れることができるだけでなく、実際に、平安そのものになることができるのです。

2.なぜエゴを取り除かなければならないか

 神なる意識は全生物に内在していますが、人間は肉体への執着のために、それを実感することができません。 神なる意識は、人間の肉体・心・理知・心素・自我の複合体によって覆われています。 これに加え、神なる原理の悟りをはばむ欲望、怒り、貪欲、迷妄、高慢、嫉妬という人間の六つの内なる敵があります。 これらは輝く太陽を覆う暗雲のようなものです。 雲に覆われると、太陽は見えなくなります。 雲が消えてしまえば、太陽はまばゆい輝きと共に現れます。 同様に、人は自らの輝く神性を見えるようにするために、無知と自我と六つの内なる敵という雲を取り除かなければなりません
 サッカーをしているとき、空気が入っている限りボールを蹴ります。 ひとたびサッカーボールの空気が抜ければ、誰もそのボールを蹴らなくなります。 サッカーボールの中の空気はエゴの存在を示しています。 エゴに揺さぶられる人間は、エゴがなくなるまで打撃を受けなければなりません。 手で受け取られるのは空気の抜けたボールだけで、膨らんだボールは情け容赦なく蹴られます。 それと同様に、自分のエゴを撲滅した人は十分尊敬されますが、エゴに揺さぶられるのを自分に許す人はあらゆる種類の攻撃の的になります。 エゴをなくした人だけが、自分を理想の人間に変容させることができるのです。
 不幸にも、現代人は社会を無視して、自分と自分の家族のことだけを考えています。 社会がないとしたら、あなたはどこにいますか、またあなたの家族はどこにいますか? この種の狭い利己主義が、いわゆる帰依者と呼ばれる人々の間にもはびこっています。 帰依者は自分自身と自分の仕事について考え、考えるとすれば次に神と神の仕事を考えます。 人間が平安または至福を楽しむことができないのは、この種の自己中心主義のためです。 人生のためのカウラヴァ兄弟の方式は「まず自分、つぎに世間、最後に神」でした。 そのためにこそ、彼らは自分の命を含めて何もかも失ってしまったのでした。 その逆に、パーンダヴァ兄弟の方式は「まず神、次に世間、最後に自分」でした。 そのため、彼らは勝利を収めました。 私たちの歴史にはそのような実例がいくらでもあり、エゴを殺すことが第一に必要であることを示しています。

3.エゴが生じる原因は何か

 あなたがたは、自分の執着と憎悪の感情、および「私」と「私のもの」の意識の主な原因は、食物にあるということを理解せねばなりません。 あなたがたの食物習慣を規制することは、自分の心と理知の健康な機能にきわめて重要であります。
 不活性の肉体があります。そして至高の意識があります。その二つの間に心があるのです。 心も不活性ですが、意識がそこに注入されているために、心は生きているように見えます。 それはちょうど、熱すると焼ける鉄に似ています。 鉄が焼けるのは、火が鉄に浸透したからです。 燃えているのは鉄自身ではなく、火が燃焼しているのです。 すべての幻影は想いから、一切は想念から起こります。 「私」を肉体と同一視することから、あらゆる問題と混乱が起こります。 肉体と自分とを同じに見る、クモの巣のような意識を作り上げたのは私達の心です。 ですから今度は、識別、放棄、探求を通じて、内側を向き、自己の本質を探し求めなければならないのは、その心なのです。 「心」(マインド)という言葉には、自我と知性も含めていいでしょう。

4.エゴの性質とエゴがもたらすものとは何か

 利己的な人は、他者に対して権力をふるうことが大好きです。 彼らは、利己主義と自己愛の煙によって色づいた眼鏡を通して、あらゆるものを見ます。 「私の言葉は本当だ」、「私の意見は正しい」、「私の行為は正しい」-こうした態度は、霊的な求道者にとっては、非常に有害です。 求道者は、いかなる方面からでも、客観的な批判や、提案や助言を、熱心に求めなければなりません。 また彼らは、あらゆる種類の話し合いや議論を、できるだけ少なくしなければなりません。 というのも、それは競争意識の原因となり、人を、怒りのこもった仕返しや、復讐心に燃えた戦いへと向かわせるからです。 世間の尊敬を勝ち得ようともがいてはなりません。 世間があなたやあなたの価値を認めなくても、屈辱に感じたり怒りを覚えたりしてはなりません。 あなたが霊的な成長を求めているのなら、何よりもまず、このことを学びなさい。 褒められても有頂天になってはなりません。 というのも、そこには恐ろしい罠が潜んでいて、あなたに道を迷わせたり、あなたの進歩が危うくなったりするかもしれないからです。
 エゴは何のためにあるのでしょうか? 肉体美、感官がすぐれていること、知性の鋭さ、あるいは富のためでしょうか? これらはすべて永続するものではありません。 エゴは他のいくつかの悪い性質を生み出します。 神はすべての人に、真理、ダルマ、平安、愛、非暴力という神聖で気高い性質を与えています。 これらの性質を育みなさい。 これらは人間にとっての五つの生気です。 怒り、嫉妬、憎しみなどの悪い性質は獣にこそふさわしい性質です。
 人が喜びや悲しみを感じるのは、エゴがあるからです。 ですから、生きとし生けるあらゆるものに愛を差し伸べることによって、エゴをコントロールしなさい。 エゴとは愛のないことです。 エゴに悩まされている人は、他者の幸せを喜んだり、他者が惨めな時に痛みを感じたりすることができません。 私心のない、無我の人のみが、他者の喜びを分かち合い、他者の悲しみを軽減するために、前向きな行動を取ることができるのです。

5.エゴを取り除くにはどうしたらよいか

 怒り、憎しみ、エゴ、プライドといった感情が自分の中から生じても、その餌食になってはなりません。 そのような感情が湧き上がってきたら、しばらくの間静かに座っていなさい。 そうする代わりに、したい放題だれかをしかりつけたり、叩いたりして、怒りをぶちまけてはなりません。 どうすればそれを実践できるでしょうか? 1 ファーロン(約201 メートル)歩きなさい。 そうすればあなたの怒りは消えてしまうでしょう。 もっと簡単な方法は、鏡の前に立って怒りに満ちた自分の顔を見つめることです。 あなたはその顔を嫌だと思い、嫌悪感を抱きつつ自分の顔を見ることでしょう。 そうしたら、思いっきり笑い飛ばしてごらんなさい。 怒りはどこかへ行ってしまうでしょう。 それをするのも難しいようなら、洗面所へ行って水道の蛇口をひねりなさい。 そして、蛇口から流れ出す水の音の調べを伴奏に、なにかよい歌を歌い始めるのです。 そうすれば、怒りは必ず消えてなくなるでしょう。 あるいは、コップ一杯の冷たい水を飲みなさい。 このようにして、穏やかで安らかな気分を取り戻す方法や手段を探さなくてはなりません。 それをしないで、怒りが大きくなるのを許してしまうと、心の平安を奪う怒りといっしょに、不安も大きくなってしまうでしょう。 決して仕返しを考えたり、売り言葉に買い言葉で応えたりしてはなりません。
 まず、利己心を取り除く方法です。 その第一の手段は バジャン です。 あなたの村や地域で、可能な限り多くの日にバジャンをしなさい。 だれかの自宅ではなく、あらゆる人が来て参加することのできる場所でバジャンを行いなさい。 というのも、自宅だとすべての人が歓迎されるわけではないからです。 華やかさや外観を競うことなく、出費は最小限に抑え、できる限り簡素にバジャンをしなさい。 神は外面の見せかけでなく、内面の切なる思いを気にかけるからです。
 蓮華の御足に捧げるべきものは、あなたのエゴイズムです。 全ての慢心、全ての分離感、全ての迷い、エゴイズムから生じた全ての執着を、「かれ」に捧げなさい。 それがあなたの為さねばならぬ礼拝なのです。 「わたし」に、あなたの内にある一切の悪を持ってらっしゃい。 それをここに残して、わたしの所有するもの、即ち霊的愛を「わたし」から持って帰りなさい。 全てを「唯一の宇宙の根源力によって動かされ、動機付けされているもの」と視る能力を、身に付けなさい
 私たちは善い仲間と共に動いて、善い思いと、善い感情を育てるべきです。 妬み、怒り、エゴ等々の悪い感情は捨てなければなりません。 感謝の気持ちは、培うべきもう一つの善い特質です。 感謝の気持ちを持っている人は、どこにいても栄えます。 中には、善に対して悪を返す人がいます。 彼らはまさに魔物です。 私たちは、私たちを助けてくれるすべての人に感謝を表さなければなりません。 その助けが大きいか小さいかは関係ありません。
 『奉仕』は、霊性修行者に通常勧められる、ジャパや、瞑想、礼拝や、犠牲の儀式よりも、効果的です。 その理由は、『奉仕』は、エゴを消滅させ、至福を手に入れるという二つの目的を果たすからです。
 私たちは善い仲間と共に動いて、善い思いと、善い感情を育てるべきです。 妬み、怒り、エゴ等々の悪い感情は捨てなければなりません。 感謝の気持ちは、培うべきもう一つの善い特質です。 感謝の気持ちを持っている人は、どこにいても栄えます。 中には、善に対して悪を返す人がいます。 彼らはまさに魔物です。 私たちは、私たちを助けてくれるすべての人に感謝を表さなければなりません。 その助けが大きいか小さいかは関係ありません。
 常に人生の意味と目的を見失わないようにしなさい。 その目的と意味を体験しなさい。 あなたと絶対者である永遠の神とはひとつです。 あなたは、一時的にしか存在しない特定の個人なのではありません。 常にこれに基づいて行動しなさい。 自分が瞑想をしているとか霊性修行をしているという自覚がなくなるまで、根気強く瞑想を続けなさい。 エゴを忘れなさい。 エゴが溶けて、意識のすべての層の中に融合するようにしなさい。 中には、瞑想中に、邪魔になる蚊を叩く人がいます! それではいけません。 すべての肉体的・精神的な本能や衝動を超越するまで瞑想に没頭しなければなりません。 内在者(デーヒ)を発見できるように、肉体(デーハ)を無視しなさい。 外側の派手なものに気を取られてはなりません。 深く内面を掘り下げて、内的輝きを発見しなさい。
 他人の欠点を探すための目は閉じて、自分の欠点を見つける目を開いておきなさい。
 たとえ私たちが何一つ持ち物がなくても、自分の内に愛という財産を持っていれば、幸せな生活を送ることができます。 この愛は、自信に支えられているべきです。 神は、全宇宙の唯一の根源であり、全宇宙を養っている唯一の養分です。 神以外のものはすべて幻影に過ぎません。 悲しみや困難、損失や収穫、疾病、等々は、すべて神の意志として扱いなさい。 そうすれば、あらゆるものが、あなたにとって善いものとなります。 あなたはまことに神なのです。 ただ、「私」というエゴと、「私のもの」という執着を取り除きなさい。 それを乗り越えなさい。 皆共に進みましょう。 皆共に成長しましょう。 皆共に暮らして知性を育てましょう。 友情と調和をもって、共に生きましょう。 満ち足りた気持ちで毎日を送りなさい。 そうすれば、大いなる幸せが得られることでしょう

サティヤ サイ ババ 大師




サティヤ サイ ババ 大師の教え

『お金』


『健康』


史上初の女性ヒマヤラ大聖者
ヒマヤラ大聖者
ヒマラヤ秘教の正統な継承者
相川圭子(シッダーマスター)





人間の真理に気づく


私達の波動を高める
『波動の法則』
『引き寄せの法則』
バシャール
クリシュナムルティ
エックハルト・トール
エイブラハム・ヒックス
アレックス・コリアー
『プレアデス』