「人はみな、一つの幸福が終わるたびに、いつまでも変わらない完全な幸福を与えてくれそうな別の何かを求めて、永遠の探求を続けています。
この探求は、それを神に求め、神を見つけたときに終わります。
神こそがその”別の何か”だからです。
唯一の真実の経験、真の幸福をもたらす唯一の経験 ―― それは、あなたの意識を神の中に目覚めさせることです。」
唯一の真実の経験、真の幸福をもたらす唯一の経験 ―― それは、あなたの意識を神の中に目覚めさせることです。」
― パラマハンサ・ヨガナンダ
パラマハンサ・ヨガナンダは、神がなぜ、どのようにして人間をつくられたのか、人間はどうして永遠に神の一部なのか、また、それが各個人にとってどのような意味をもっているのか、について説明している。
人間が自らの造り主との一体性を取り戻し、自覚することは、ヨガの真髄でありすべてである。
神が人間にとって、人生のいかなる場面においても必要不可欠なものであることを理解すれば、人は、宗教を現実ばなれした別世界のものとする考え方を改め、神を知ることこそ、生きることの意義を科学的、実際的に探求するうえの根本であることがわかるであろう。
師は、すべての宗教とその創始者を尊敬し、また、真剣に神を求める人には誰にでも敬意を払った。 パラマハンサ・ヨガナンダの世界的使命の重要な要素の一つは、イエス・キリストが教えた当初のキリスト教と、バガヴァン・クリシュナが教えた当初のヨガとの、完全な調和と基本的な一致を明らかにすることであった。 昔から宗教間の教義の違いが、多くの深刻な対立や紛争の原因をつくってきたが、師は、そうした教義の違いを超えた、すべての宗教に共通する宗教の普遍的な基盤である神との霊交が、ヨガの実践によって果たせることを自分で実証してみせたのである。 教義のみを説く宗教の単なる抽象概念は、神の実体験の前に次第に魅力を失っていくであろう。 神の存在は――他の霊的真理も含めて――人が人にどのように説明しても完全に証明できるものではないが、ヨガを実践する求道者は、それを自らの体験によって確認することができるのである。 このように、神は現実の存在であり、真剣に求めさえすれば、誰でも知ることができるのである。 神の力を借りなければ、行動したり、考えたり、感じたりするために必要な命も力も持つことができないが、神を知ることによって、どんな力も成功もその源である神から自由に引き出すことができるとすれば、それを試さずに自分を無力者と決めて卑下すべきではないであろう。 「神を知ることは、人間の特権であり神聖な義務であるばかりでなく、現実生活のうえにも必要なことである」とパラマハンサ・ヨガナンダは指摘している。 |
神は愛だけに動かされる
神と話すことができるというのは、紛れもない事実です。
私はインドで、天の父と話をしている聖者たちと一緒にいたことがあります。
皆さんも神と話をすることができます。
それも一方的な会話ではなく、あなたが神に話しかけ、神が返事をしてくださるという本当の会話です。
もちろん、誰でも神に話しかけることはできます。
しかし私が今日皆さんにお話ししたいのは、神に返事をしていただくようにするには、どうすれば良いかということです。 |
普通の人が神に祈るときは、頭の中で祈るだけで、心からの情熱を傾けて祈ろうとはしないものです。
このような祈りは弱すぎるので、神に応えていただくには十分ではありません。
聖なる神に話しかけるときには、自分の父親や母親に話しかけるように、信頼と親しみを込めて話しかけなくてはなりません。
神と私たちとの関係は無条件の愛に基づくものです。
神と私たちとの関係の中でも、聖母さまという、神の母親としての側面を考えたときに、私たちは最も自然に、当然のこととして神の応えをねだることができます。
そのようなお願いの仕方をされたら神は応えずにはいられません。
なぜなら、わが子がどんなにひどい罪人であったとしても、愛し許すのが母親の本性だからです。
神が私たちに与えた人間愛は、母と子の関係の中に最も美しく表れています。 |
多くの人が、目を閉じればそこには暗闇しかないと思っています。
しかしあなたが霊的に成長するにつれ、額にある「一つの」目に集中できるようになると、内なる世界が見えるようになります。
すると、たくさんの光で輝くとても美しい別世界を見るようになります。
私が見たヒマラヤのヨギのような聖者の姿が、あなたの前にも現れるでしょう。
集中力をさらに深めれば、あなたも神の声が聞けるようになります。 |