本当の自由を手に入れる

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 現代社会で自由に生きていくには、せめて衣食住に困らない最低限の『お金』がどうしても必要です。 そして食べるに困る多くの人々は、生活のために一生懸命に働き、『お金』を稼ぐことを目的に大切な人生の時間の多くを費やしています。 でも冷静に考えてみると、自分自身にとって本当に大切な何かを犠牲にしているとは思いませんか? 本末転倒になりがちです。 資本主義社会では『お金』が無いと自由に生活できません。『お金』による暗黙の支配構造が、人が本来それぞれに持つ魂の輝きを消失させています。

 日本がもっと精神的に豊かな国になるには、金銭の奴隷状態から人々を解放し、自由にイキイキと活動できる社会環境にしていくことが望まれます。 これからの日本に、人間の内なる声や直観を大切にし、それぞれの魂から溢れ出る内面の輝きとエネルギーを原動力に、世のため人のため(すなわち真我のため)に活動する人々がたくさん増えることを願っています。


「真の自由を実現する」という決意


音声: Yumiko Ema

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からのメッセージ

「安定した新しい生き方」を追い求める現代


 私たちはここ数十年間で世界や社会のコントロールドラマに気づき始め、同時に自分たちの存在意義、生活・生き方そのものを見直して新しい何かを発見しようと頑張ってきています。 その新しい何かは今までにないもので、それでも確かなこととしてわかってきたことは、私たちの人生のシナリオの中にゆっくりにせよ確実に宇宙的霊的な要素と体験が色濃くなり始め、それが今までとは違った世界観・宇宙観をもたらしているということだと思います。 そしてこの「意識のルネッサンス」が、数十年あるいは数百年の歳月をかけてゆるやかに開花していくものだとすると、私たちはその先駆け的な位置に置かれて生きているということもわかってきたのです。
 移行期というのはいつの時代でも不安定なものです。そんな環境下に置かれた私たちですから「安定した新しい生き方」「少しでも自由を可能にしてくれる自分らしい生き方」を模索し追い求めるのは当然のことだと思います。社会や組織に主導権を握られた生き方、紋切り型の生き方ではなく、もっと自分らしく好きなように生きたい、どんな生き方でもいい、自分が好きなことをして生きていきたい!と願って当たり前なのです。ところが、まだまだ支配的な「恐れ」ベースの集団意識が強い社会というバックグラウンドは健全ですから、ちょっとした意識の乱れと思考の不器用さゆえに、すぐさま古い概念、時には新しい概念に捕らわれ、いつの間にかまたその縛りの中で苦しみだし、結局は出口のない迷路にはまり込んで「何が何だかわからなくなる」ということが往々にして起こってしまうわけです。

「好きなことして生きていく」という魅惑的な概念


 そんな中最近よく話題にのぼり、相談ごとにも多くなってきたコンセプトが「好きなことをして生きていく生き方」というものです。 「好きなことをして」生きていきたいと思った人たちが、色々な教えやメソッドを試している中で迷子になっているのが目立ってきているのです。 かなりの人達が、今までずっと自分を犠牲にして生きてきた、自分を大切にしてこなかった、好きなことをするなんて無理だと諦めてきた… などと不自由だった自分に気づき始めたのはいいのですが、その気づきの反動で、胆略的な考えで「好きなことをして」生きていくという概念に飛びつき困惑しているのです。
「好きなことをして」生きてくというフレーズは魅惑的で、しかも手の届く範囲で可能であるかのような錯覚を与えてくれるものです。 実際、これまでの社会常識的な生き方に不適合な人たちも急増している中で、人生の方向性を「好きなこと」重視に切り替えていこうとすることは社会のニーズに合っているコンセプトであり、この考え方が一種の社会現象になってきても不思議はないのかもしれません。 誰の周りにも今までとは違った生き方を選択し、楽に自由に輝いて生きているように見える人が何人かはいます。 そんな姿を見せられて「私も好きなことを探さないと…」「好きなことをして生きる仲間入りをしなくては…」と駆り立てられるようになっていくのはとてもわかり易い話です。
あの人のように(あの人は至って普通の人だし…)私も「好きなことをして」生きていけたら、もう何にも捕らわれることなく、コン トロールされることもなく、楽に自由に生きられると思い込み、いとも簡単に「好きなことをして」「好きな人だけに」囲まれて生き、「好きな」仕事をして、 「好きな」場所に住んで、「好きな」人達と繋がって、さらには豊かにお金も流れるように入ってきたら、それで私も成功者の仲間入りができる!と「好きなこと」で 固めた架空のサクセスストーリーを作り上げてしまうのです。
 ところが、このようなコンセプトで人生のシナリオを変更しようと試みている人たちが「なにかおかしい」と行き詰まりを見せていることは、カウンセリング・セッションを通しても明らかです。 そして今後はさらに「思ったように上手くいかない」「なにがおかしいんだろう」と疑問を抱く人が急増するのではと危惧しています。 「好きなこと」だけでなく「ワクワク」「いい感じ」「トキメキ」「ポジティブ」… などのような言葉をたくさん使って人生のモチベーションとしている場合も同様です。 「何が間違っているのだろうか?」「何かまだ秘密があるのでは?」と追いかけ続けるパターンを繰り返してしまうのです。
「好きなことをして」生きることが間違っていると言っているのではありません。 「好きなことをして」生きている人はたくさんいます。 「好きなことをして」生きることは素晴らしいことです。 ただ、この「好きなことをして」生きていくことをモチベーションにして生きようとした時に、簡単に陥ってしまう落とし穴があるということ、実際かなりの人が落っこちてしまっているので、この辺で警鐘を鳴らしておきたいと思い整理してみました。 また、その落とし穴にハマった時の「モヤモヤ感」を払拭してくれる一瞬の気づきも書いておきます。 落とし穴からの脱出の助けになればと思います。

「好きなことして」生きていこうとするときにハマる5つの落とし穴


落とし穴1
 「自分の好きなことは何なのだろう、何をしたら自分はハッピーなのだろう」と永遠と探し続ける「自分探しの穴」 これは、99.99%の人が一度は落ちてしまう落とし穴です。 自己否定を習慣化し続けてしまった場合「好きなこと」はまったくわからなくなっている場合もあり、そうでなくとも「好きなことをする」ことに対する罪悪感が強かったり、人から認められるためのニセ好きなことに走ってしまう場合があります。 頭で考えついた「好きなこと」は、遅かれ早かれ「これは本当に好きなことなのだろうか」という疑問にぶち当たります。
落とし穴2
 「好きなことをして楽に、楽しく、しかもお金も稼いでいる」そんな人ばかりが目につくようになり、そうなれていない自分に劣等感を抱き続ける「ダメな自分という穴」 この落とし穴は、「優劣」「勝敗」などに敏感で、すぐに何でも比較したがる人が落ちてしまう落とし穴です。優越感の強い人が陥る劣等感、劣等感の強い人はさらに自虐的な自己無価値観にハマり込んでしまう重症患者を作ってしまいます。
落とし穴3
 「好きなことだけして生きる」という概念を追いかけすぎて、返って「嫌なこと」に囲まれて生きている自分がクローズアップされる「嫌なことばかりの穴」 「好きなこと」を追いかければ、当然の事ながら「嫌なこと」は鮮明化されてきます。「なぜ自分は嫌な人、嫌な仕事、嫌な環境から脱出出来ないんだろうか?」と常に「嫌なこと」に悩まされ続けます。 「嫌な人」だから離婚、「嫌な仕事」だから退職…「嫌な」悪循環に生きることになります。
落とし穴4
 「好きなことだけして」生きられるようになれば、何も問題のない人生になるという安楽的な空想から離れられない「現実逃避の穴」 問題だらけの人生は「好きなことだけして」生きられるようになった時、全部解決すると思い込む勘違いの落とし穴。好きなことをして生きるようになると、お金も滝のように流れこみ、またそうなれば、ダメな自分ではなくなるし、みんなにも「自分の生き方」が正しいことを示すことができると錯覚しているため、結果として「好きなこと」とは程遠い「問題だらけ」の永久的イリュージョンの毎日を送ることになってしまいます。
落とし穴5
 「嫌なこと、嫌な出来事、嫌な人、調子の悪さ、ネガティブな感情に陥ること」を否定的に捉え、現状を偽ってしまう「偽りの穴」 実際、好きなことをして生きているように思えるようになったとしても、誰にだって「嫌なこと、嫌な出来事、嫌な人、調子の悪い時、ネガティブな感情に陥ること」はあります。 ところが「好きなことをして生きている私」がそんな状態じゃまずい、といった変なプライドにとらわれ、自分に対しても人に対しても、できればそこは隠し通したいと装ってしまう現状偽りの穴に落ちてしまうことがあります。

※以上、各自自分の陥りやすい落とし穴、あるいはどっぷりはまっている落とし穴をチェックしてください。

追いかける人生から「真っただ中を味わい尽くす」人生へ


 それでは、どうしたらその落とし穴から抜け出せるのか、どうしたらその落とし穴に入っている時の「モヤモヤ感」を払拭できるのかについてお話してみようと思います。 実は”どうしたら”の部分は自分で体験して自力でやるしか道はないのですが、ここでは一瞬の気づきで落とし穴から脱出することは可能だということをメッセージしておきたいと思います。
「好きなことして」生きられれば「持続的な充足感」が保証されるというイリュージョンに目覚める
 私たちはこの「意識のルネッサンス」のど真ん中にいて、今までとはなにか違う、もっと全身全霊で力が湧いてくるような生き方を求め始めています。 だから、集団意識的に「好きなことして」生きられるようになれば「しっくりとした充足感、安定感、幸福感」を得られ、それが可能になるというシナリオが魅惑的に映るのです。 ただ、それが現実化するには、まだまだ邪魔もの、障害物らしきもの(信念、思い込みも含む)が多く、なかなか一気には進ませてくれません。 湧き上がった直感的インスピレーションも、一瞬にして思考による否定、集合意識の概念によるストップがかかってしまうことがよくあるからです。 「好きなことして」生きていいのです。 ただ、この物質世界においては、何をやったとしても、どんなに好きなことをしたとしても「これしかない!」「これだけしていれば最高だ!」という永続的な対象となるものはなく、「好きなことして」生きられれば持続的な充足感が保証されるということではないということを知っておくことがとても大切なのです。 そうでないと、また何かしらの落とし穴に入り込んでしまうのは目に見えています。
「好きなこと」を追いかけないで「真っただ中」を味わい尽くしてみる
 人生は思考の考える「好きなこと」「嫌いなこと」を超越した、頭で理解することの出来ない神秘的な出会いや出来事を常に用意してくれています。 たとえ「好きなことをして」生きていないように思えても、あるいは「好きなこと」がコロコロ変わってしまっても、自分をダメだと思う必要もなければ劣等感を感じることもない、また人生の失敗者でもないと知ることです。 頭の中で「好きなことは何なんだろう」「ワクワクすることってなんなんだろう」という質問が出てきたら、これは落とし穴に入ってしまったサインです。 今この瞬間に立ち返り、やり残していること、見て見ぬ振りをしてきたこと(お掃除でも支払いでも何でもOK)を淡々と取り組んでエネルギーフィールドの調整をして見てください。 これは思考を追いかけるのを止めるための簡単な方法です。
とにかく、私たちは追いかけっこが大好きなのです。 子どもたちを見れば一目瞭然です。 追いかけっこは、人をハイにするし、ドキドキするし、ワクワクするものなのです。 大人になった私たちは「思考の追いかけっこ」に夢中になってしまうのです。 その中の一つが「好きなこと」を追いかけることなのです。
 でも、「好き」とか「嫌い」とかいう上辺の判断をする以前に、すでに私たちには常にこの瞬間に「やるべきこと」「豊かさ」が用意されているのです。 また「何をしたら心地良いか、清々しいか、喜びとなるのか」私たちのハートはすでに知っているのです。 この瞬間にすべてがあることを知っているのです。 それに「嫌いなこと」「嫌なもの」のように見える物事の中に、より自由に生きるためのプレゼントが隠されていることは、多くの人が体験済みでわかっていることなのです。
「好きなことをして」生きていいんです。 でも「好きなこと」を追いかけないで、今この瞬間の真っただ中に用意されているものを味わい尽くすことを忘れないでほしいと思うのです。 そこを見逃していたら、それは本末転倒だからなのです。 今持っているものを完全に活かして見事に使って見るのです。 今与えられている状況で、出来る限りのことをやってみるのです。 すると次の瞬間にも必ず、思いも寄らないプレゼント、豊かさが用意されていることがわかってくるのです。 そうしたら「好きなこと」という言葉では表すことの出来ない、陽だまりに包まれているような、守られているような今が輝きだし、好きとか嫌いとかはどうでもいい「今」を生きるようになるのです。 ただ夢中になって遊んでいる子どものように生きればいいことになるのです。