霊的な事柄に関する講演を行うけれども、世俗的欲望という悪臭を取り除くことのできない人々がたくさんいます。彼らが世俗的欲望を取り除かない限り、彼らは純粋な状態に到達することはできません。彼らは物質的な人生に慣れ親しんでいます。彼らは、世俗的な願望を満たそうと思って、バジャンや瞑想などを行うのです。
霊的な道にあっては、人は世俗的欲望という悪臭に付け入る隙を与えてはなりません。中には、自分自身を帰依者と呼びながら、欲望のためによこしまな人間になっていく人がいます。そのような人を帰依者と呼ぶことができるでしょうか? いいえ。それはできません。もし彼らが真の帰依者であるのなら、どうして彼らから悪臭が漂うのでしょう? 彼らの身体も、心も、知性も、またその行動も、不純さに穢されています。


教育の目的は、世俗的教育を成り立たせている単なる読み書きではありません。教育の目的は、純粋性と神性に達することです。


『認識瞑想』で自分の魂の原点に還る

 この言葉の中には、ありとあらゆる意味が含まれており、自分の魂の原点に還るための瞑想になっています。 日が経つにつれ、自分の体の中に、あるいは脳の中に変化がおきてきます。 自分で唱えるときには、『私』の部分を自分の名前に読み替えて、毎日3回以上唱えます。

1. 肉体としての『私』の身の周りに起こった現実は、想念体としての『私』 が強く願い求めたその結果の現れなのです。 肉体の『私』は、それを否定せずに、霊体の『私』自身を傷つけることもなく、受け取らせて戴きます。 ありがとうございます。

2. 霊体の『私』は無知であるが故に、本当の自分を知りたくて、この旅を歩み始めようとしています。 霊体の『私』の原点は無知であり、盲目であるということを決して忘れずに生きて行きますので、どうぞ宜しくお願い致します。 ありがとうございます。

3. 肉体の『私』及び、想念体の『私』は自由自在性を取り戻す為に、真の喜びを体現する為に、偽物の鎧、すなわち、肉体、想念体となって身につけてしまった色々の想念、この偽物の鎧をはぎ取って行こうと思っています。 つきましては、私の身の周りに存在するありとあらゆる皆様の叱咤激励を喜んでお受け致します。 ありがとうございます。